未来的日常平和





今、教室は大パニックに陥っている。

机や椅子が上や下に置いてあったり、ある生徒は天井に足を着きながら首が曲がっていたり、またある生徒は上半身と下半身が5メートルも離れている。

上と下や右や左がめちゃくちゃになり、物体が大きくねじ曲がっている。阿鼻叫喚の教室の中、二人の生徒だけがその脅威にさらされることなく、わずかに残った前方の扉付近のまともな空間に立っている。

一人はおろおろと狂った空間を眺めており、もう一人は不敵な笑みを浮かべてボールペンの頭を空間に向けている。どうやらこの生徒がこの騒動を起こした張本人のようだ。

「ちょっと……教室で空間彎曲装置なんか使ったらまた先生に怒られるよ」

今にも泣きそうな男子生徒が訴えた。

「何よ。こいつらが悪いのよ。この私を侮辱した罪を嫌ってほど思い知らせてやる」

女子生徒は不敵な笑みを浮かべて、まったく少年の言葉に耳を貸そうとしない。

「そんな、いくら工作の課題で作った“新型三つ目サングラス”を信号機と間違えられたからって、こんなひどいことしなくても」

「五月蝿いっ。あのサングラスは日本の科学技術の革命を起こすはずだったのにぃ」

「そもそも僕らの存在が革命的なんだよ」

「いいから黙ってなさいっ」

教室内の惨劇は依然続いており、悲鳴の中から贖罪の言葉も聞こえるはずなのだが、そんなことはこの少女の耳には届いていないらしい。

ショックで気を失うものも続々と現れた。腹から頭を出しながら白目を剥いている様子はとても恐ろしい。ホラー映画のような光景が教室内で起きているのだ。

おろおろしている少年が誰かこの人を止めて、と他力本願な祈りをし始めた時、教室の扉が開いた。

教室に入ってきたのは、白衣を着てナースキャップをかぶった女性であった。この惨劇をみた彼女は一つため息をつき、白衣のポケットからボールペンをとりだして、その先をねじれた空間に向けた。そしてボールペンを人差し指と中指ではさみ、親指でボールペンのノックボタンを押す。

その瞬間、教室はいつも通りの姿を取り戻し、きちんと並んだ机に五体のしっかりした生徒が全員だらりと倒れていた。

「何度言ったらわかるの?そういう物騒な道具を一般人の前で使わないで」

「だって、あいつらが私のサングラスを……」

「サングラスぅ?ああ、あれね。そうだ、ああいう機能的なおもちゃは作らないでね。ここではちょっと高性能すぎるから」

「あれは科学技術に革命を起こすのよ」

「わかったわかった。とにかく二度と面倒事を起こさないでね、事故処理するほうも大変なんだから」

「……はあい」

少女はようやく落ち着いたようだ。

しかしもうすぐ一時間目の算数が始まるのだが、二人を除いてクラスメイト全員が気絶している。

この後、ナース服の先生が生徒をたたき起こして、全員に記憶置換装置を使ってなんとかあの惨劇はなかったことになった。

少女はしばらくばつが悪そうにうつむいていて、なぜか少年のほうも同じようにうつむいていて、隣の教室ではいつも五月蝿い少女の大声が聞こえないなと、国語の授業中の先生がなにげなく思っていた。





給食の時間。

教室内は生徒の話し声でいっぱいになって、給食係がせっせと食器に給食をよそって、給食係をすっぽかした男子生徒が一人の女子生徒に叱られていた。

その中でやけに目立つ少女の大声があがった。

「今日、休み誰?一人?二人?十人位?」

その隣で優しげな笑みを浮かべて少年が答えた。

「今日は皆学校に来てるよ」

少年の立派な笑顔とは裏腹に少女は明らかに不満そうに眉を寄せてしかめっ面をした。

「せっかく今日はプリンなのにぃ」

「そうだね。久しぶりのプリンだね」

「……うう。……おいっ、そこのお前っ」

少女は自分の分の給食を持って席に着こうとしている男子生徒を呼び止めた。

男子生徒はびくっと体を震わし、ゆっくり少女のほうを向いた。その顔は強張っていて、その返事は震えていた。

「な……なに?」

「あんた、確か甘いものが駄目だって言ってたよね」

「そ……そんなこと、一言も……」

「当然、プリンも食べられないよね」

「た、食べられ……」

「なら私がもらっても、いいよね」

少女はこれでもかとばかりに殺気をむき出しにして、震えている男子生徒を睨みつけていた。

男子生徒はもうすでに無言で首を横に振るしか抵抗が出来なくなっている。そして少女の眼に釘付けにされている男子生徒のプリンに少女の手が忍び寄っていた。

「プリン、貰うよ」

少女は素早くプリンを奪い取った。

「あ……僕のプリンがあ」

少女はすでに自分のスプーンを使って、とても満足げにプリンを食べ始めていた。

そのプリンを奪われてしまった男子生徒は、とても残念そうにうつむいてとぼとぼと自分の席に着いた。さらにそこへ少女の隣の席の少年がやってきた。その手には艶々としたプリンが。

「これ、あげるよ」

男子生徒は目を丸くして少年を見上げた。少年はいつもと変わらない笑顔でプリンを差し出していて、しだいに男子生徒にも笑みが浮かんできた。

「ありがとう」

そういうと男子生徒は素直にプリンを受け取った。

その時少女はすでにプリンを一個たいらげていて、おかずを食べ始めていた。どうやらプリンを一つ食べてからご飯とおかずを食べ、再びプリンを食べるらしい。

給食を食べている少女はとても幸せそうだった。プリンが戻ってきた男子生徒も幸せそうで、プリンをあげてしまった少年もなぜか幸せそうだった。





少女と少年は赤と黒のランドセルを背負って、高級住宅街の一角にある洋館へと足を踏み入れた。というか、ここが彼らの家のようだ。

「ただいまぁ」

「たっだいまあ」

玄関を開けた先はなんとバスルームであった。巨大な浴槽とぽつんと一つシャワーがある。大きな浴槽は大人二十人でも簡単に入れそうなほどだ。

「あれ?鍵間違えちゃったかな」

少年は大きな鍵束についている大量の鍵に張ってあるラベルを確認する。もう一度、別の鍵で鍵穴を回し、ドアを開けた。

そのままだと外に出るはずなのだが、その先にリビングが現れた。リビングでは大きなテレビで若い女性がソファーに座ってドラマを見ていた。おそらく母親であろう。

「あら、おかえり」

「また間違えちゃった」

「ほんと、どじなんだから」

少女が毒づくが少年はまったく気にした様子はなく、母親も仕方がないというふうに笑っていた。

「このドアって何か意味あるの?鍵使わなきゃランダムに部屋が変わるから、毎日でっかい鍵束持ち歩かなきゃならないし。パパなんていまだに一週間に一度は迷ってるよ」

「泥棒さんとかが入ったら大変でしょ。うちには珍しい物がたくさんあるんだから」

「泥棒さんもかわいそうだね。家から出られなくなるんだもの」

「泥棒だからかわいそうじゃないでしょ」

少女はランドセルをおろすと、リビングとつながったダイニングにおいてある冷蔵庫を開けた。

「そうだ。チョコケーキが買ってあるから食べていいわよ」

母親がそういう前にすでに少女はチョコケーキの箱を取り出していた。母親はソファーから立ち上がり、キッチンに向かった。

「ちゃんと二人で分けるのよ。今お茶入れてあげるから」

少女はなんとも手際よく自分の分の皿とフォークを取り出して、自分の分のケーキを取り出した。少年は遅れて皿とフォークを食器棚から取り出していた。

その間に母親はパックに入った粉をティーカップのお湯に溶かしている。

するとみるみるうちにティーパックから花のような香りがしてくるではないか。

「インスタントのダージリンだけど、とってもおいしいわよ」

少女はすでにケーキを半分ほどたいらげていて、少年はようやく一口目を食べだそうとするときだった。

扉が開いた。

その場に居る全員がそこから出てくる人物に注目した。そこから出てくたのは、三人が三人とも知らない人物であったのだ。

「どなたですか?」

「……あ。ああ、助け……て」

それはみすぼらしい姿の中年の男であった。目が虚ろとして口を半開きにしている。

「何があったかわかりませんが、お茶を入れたんでよかったらいただきませんか?」

母親はまったく動じず笑顔でカップを差し出した。

男はカップを受け取り、一気に飲み干しす。

「ところでおじさんは何をしに来たの?」

「もしかして泥棒?」

少女がケーキをほうばりながら言った泥棒という言葉に驚いたのか、男は激しくむせた。そしていきなり地面に伏せたと思うと、叫んだ。

「申し訳ありませんっ。つい出来心で。この家のものは一切盗んでなんかいませんっ。どうか助けてください」

事情を聞くに、この泥棒は一週間ほど前にこの家の窓から忍び込んで、忍び込んだのはいいが何故か地下室まで飛ばされてしまい、その後この家をさまよっていたらしい。

「何か珍しいものはありましたか?」

母親が訊いた。

「え、ええ。見たこともないものがたくさ……」

男が言い終わらないうちに大きなまばゆい光が部屋を照らし、男は気を失ってしまって、その場に大の字になって倒れた。

「記憶置換装置を使ったわ。これでひどい悪夢は忘れるわ」

母親も少女も少年もいつのまにかサングラスをかけていた。

一応その場で念のため泥棒の服のポケットをあさって、何か盗られていないかを確認して、台所で手を洗って再びお茶を入れなおした。

「うん。擬似マスカットフレーバーのいい香りだわ」

「このおじさんどうするの?」

いつの間にかケーキを食べ終わっていた少女が紅茶を飲みながら倒れているかわいそうな泥棒をつっついていた。そのとき少年はようやくケーキを半分ほど食べ終わっていた。

「そのあたりはパパに任せるわ。あと一日はそのままだから」

「そういえばあのケーキどこで買ってきたの?」

「駅前のデパートで買ってきたのよ。おいしかった?」

「うん」

「おいしかった」

「そう。また買ってくるわね」

母親は笑顔で言った。

少女は珍しそうに男を突っついていた。

少年はおいしそうにケーキをほうばっていた。

その光景は奇妙な平和に満ちていた。