復讐者達の変革





白銀に輝く鎧を見につけ、少年は嗤う。

兜で表情が見えないが、その中からくぐもった笑い声が聞こえた。

草原は太陽の光を受け黄金色に輝き、そよ風が木々を揺らしうめき声をあげる。

中年の男が倒れていた。

眼鏡をかけた、右頬にほくろのある男だ。その顔には焦っているのか冷や汗が浮かんでいる。

「復讐者なんだよ、僕たちは」

男は小さくうめき声をあげる。手で地面を押しのけて少しでも白き鎧から遠ざかろうとしているが、力がほとんど入っておらず手は草の上を滑るだけだ。

「僕たちに残されていたものは何だと思う?全てを取り上げられた力無き者たちは祈ることしか残されてはいなかったんだよ。僕たちは祈ったさ。誰もが心の奥で祈っているんだ。その祈りは唯一僕たちを見放さなかった神に届いた。もちろん君たちが崇拝するものとは別のね」

少年の右手が眩い光に包まれた。

男は思わず目を閉じる。

その光はすぐに消えた。そして、男は恐る恐るまぶたを開く。

少年の手には槍が。身の丈を軽く超える巨大な槍が握られていた。鋭い刃先が太陽の光で輝いて、恐怖を誘った。

「どうだい?僕たちは神から力を授かった特別な存在なんだよ。君たちが所有できるような代物ではないということだよ」

少年は槍を激しく地面に突き刺した。冷静な口調で話しているが、そこには怒りがこめられていた。理不尽に対する怒りが、少年の生命となり、力となる。少年のもつ怒りの全てはイマジネーションであり、全てはリアルだ。感情がすべて力へと変換されて、増幅される。

「僕たちは君たちに何も求めやしない。何も期待なんかしない。僕たちが全部壊して、全部創り上げる。君たちの世界は終わるんだよ。僕たちや、認められた人々だけが新世界に引き継がれてゆく。君たちが造り上げたツギハギだらけの混沌の世界とは違う、神の元に集う誰もが救われる世界だ」

男の目は見開かれ、眼球は焦点を見失い静止している。動脈が収縮して顔面を蒼白にし、心拍数が平均値を大きく上回り、粘液性の唾液で口の中がからからになり、何かを求めるように口をパクパクさせている。

おそらく男はもう何も見えてはいない。耳に入る少年の言葉の意味すら理解できず、目の前までせまった非現実な恐怖に身をすくませていた。

少年は槍を地面から引き抜いた。

そこにいるあまりに無力で頑固な男に話しかける事の無意味さに気がついたのであろう。

「そろそろ復讐を始めようか。僕は君に十二万八千二百時間分の復讐を行使する。苦痛の先に君たちの示す地獄が待っていても、それは全て君の責任だ」

ようやく男の口から声が発せられた。

それは男の頭に巨大な槍が振り下ろされるまでの短い悲鳴であった。そして、巨大な復讐劇のスタートの合図でもあった。





男は気がつくとスクランブル交差点の真ん中にいた。

大量の人々が無表情で男を避けて行き交う。

男はすぐに自分が何をすべきかを見出した。腕時計を見るとやはり通勤時間。

いままでぼんやりしていたようだが、いつもと同じだ。時間と場所を見れば何をすべきかがすぐにわかる、便利な世の中だ。

男はいつもと同じように人にまぎれて早足に交差点を進む。

しかし、男は違和感を感じていた。どこかいつもと違う。そんなことがあるはずはない。頭を振って余計な考えを振り払った。

そのとき、明らかに周囲に異変が起こった。

まさか。男は目を疑った。周りの歩く速さが目に見えてどんどん速くなっている。

後ろから押されるように男も歩く速さを速める。周囲の人々はまだまだスピードを上げる。男は駆け足になる。

いったいどうなっているんだ。この交差点はどこまでいったら歩道が見えるんだ。いつまで白線の上を歩かなければならないんだ。

男は全力を出した。

若者や自分と同じぐらいの中年の男女は悠々と陸上選手のような速さで歩いている。いったいどうして。

みんな何をそんなに急いでいるんだ。

ちらりと時計を見た。

そして驚愕する。

さっき見た時間より四十分も進んでいる。それに、秒針の進む速さが異様に速い。

どうしてだ。早くしないと、間に合わない。そうだ、会社に連絡を入れよう。

走りながらポケットをごそごそ探る。

携帯。携帯電話。

その間にも人の足は速くなる。

そうしているうちに後ろから押されて男はうつぶせに倒れた。その上をたくさんの人が踏んでゆく。肺の辺りを踏まれるたびに男が咳き込む。

踏まれる、踏まれる。どんどん人々のペースは速くなっている。踏まれる感覚が短くなる。時間がどんどん進んでゆく。

踏まれながら男は悲鳴を上げた。

もういやだ。誰か助けて。

その瞬間、全ての人が消えた。

男は一人交差点で倒れていた。無機質な構造物群に囲まれて白線の上にうつぶせに倒れている。信号機がちかちかと青から赤へと切り替わった。

少年はそこに現れた。

白銀の鎧は赤のランプに照らされている。

「助けは来ない。君たちの造り上げた世界で絶望しろ」

再び男が悲鳴を上げる。

少年は手にした槍で男の頭を貫いた。

せわしなく動いていた男の腕時計はぴたりと止まった。





何かの落ちる音に男は意識を取り戻した。

顔を上げると彼の妻が落ちて割れた茶碗をいそいそと拾っていた。どうやら洗い物をしていた途中で落としてしまったようだ。その手は濡れて洗剤の泡がついていた。

最近こういうことが多い。何を見ているわけでもなくぼんやりしているのだ。しかし、男はそのことに対して彼女に何も訊かなかった。

かちゃりと破片を拾う音と時計の秒針の音だけが部屋を飾る音であった。

男はソファに座って新聞紙を読もうと思った。

テーブルには今日の新聞紙と昨日の新聞紙とおとといの新聞紙が積み重なっていた。男は今日の新聞紙を手にとって音を立てて広げる。

彼の妻は破片を拾い終わって、再び食器を洗い始めた。

二人の顔にはこれといった表情は浮かんでいない。妻にいたってはまばたきすらしていなかった。

男は無言の空間に何も求めてはいなかった。

自分は仕事をして、妻が家庭を維持する。それが暗黙の了解だ。男はそれが当然であり、少なくとも自分はちゃんと役割をこなしていると思っていた。

三十分ほどそうしていただろうか、不意に扉が開いた。

学生鞄を持った少年。

二人はちらりとそちらを見たが、何も言わずに自分の仕事に戻った。

少年は部屋には入らず、ドアを閉めてほとんど足音を立てず、階段をのぼって自室に戻る。男は新聞紙をめくるだけで、彼の妻は洗い物を片付けるだけであった。

男はやがて新聞紙を読み終えた。隅から隅まで新聞紙を読む男は新聞代を払う価値が十分ある。

男が新聞紙から顔を上げると、そこには彼の妻が仁王立ちで立っていた。

いったいどうしたのか、男は訊こうとしたが彼女の右手が握っていた包丁を見て、思わず言葉を呑んだ。

彼の妻は言った。

「ごめんなさい。でも、疲れたの」

男は何か言おうとしたが声が出なかった。口を開いてのどを震わせようとしてもまったく音が出ない。男は新聞紙を捨てて後ずさった。彼の妻はじわじわ彼を追い詰める。

「あなたはいつだって私のことなんて考えてはくれない。結婚式もあなたの意見で格式ばった教会であげて、子供の名前も勝手にあなたの両親が決めて、私がパートを始めるのにも強く反対して、お前は家事だけしてればいいんだって」

包丁が振り下ろされた。

包丁は男の頬をかすめ、そのままの勢いでソファに突き刺さった。

「子供のことも私に押し付けて、そのくせ無理やり進学校を進めて、あの子の意見も私の意見も全部無視して」

突き刺さった包丁を抜いて横薙ぎに払う。

男は間一髪で包丁をよけてしりもちをついた。

「あなたなんて、死んでしまえばいいんだ。早く私を解放してっ」

高く振り上げられる包丁。男は声にならない絶叫を上げた。

そして見つけた。視界の隅に、ドアの隙間から覗く少年。

少年がにやりと笑った。

「醜いエゴイスト共め。消えてしまえ」

包丁が振り下ろされた。

その瞬間、あらゆる音が消え去った。





男は嘆いた。

自分は一生懸命生きてきたはずだ。社会の仕組みに沿ってルールを守って生きてきたはずだ。

なのになぜ自分がこんな仕打ちを受けなければならない。自分の他にももっと罰を受けるべき人間がいるはずだ。

どうして自分なんだ。社会に賞賛されるはずの自分が。

「君が賞賛されるのは君が信仰する社会にだけだ。世界は一つではないんだよ」

少年の声が聞こえた。

いつの間にか目の前に白銀の鎧が立っている。

「少し立ち止まって足元を見れば気づくだろうに。数多くの者たちを踏みつけて礎にしてきたことが」

少年の両手が輝く。

男は反射的に後ずさった。

少年の手に現れたのは二本の剣だった。長い剣と短い剣。左手に握った長い剣を男に差し出した。

男は困惑した様子でそれを見ていた。

「君に戦う勇気があると言うのならば、剣をとれ。これが君たちの社会のやり方だろう。強い者が生き残る、君がいままでやってきたことをやればいいんだ」

男は震える手を伸ばした。

剣の柄を力無き手でそっと握る。少年が手を離すと、男は剣を取り落とした。小刻みに震える手を空中で静止させたまま男は硬直する。

剣は派手な音を立てて地面に落ちた。

「…………残念だ。君は屈服させられる相手にしか自分の正義を押し通せないのか」

少年は落ちた剣を拾った。

そして二つの剣を合わせる。すると剣が激しく光り輝いた。

光は男の網膜に焼きついた。しかしそれでも放心状態の男は瞬き一つしない。

巨大な剣が、少年の手に握られていた。

その剣は血のごとし深い赤に染められていた。それは見えない少年の憤りをあらわしたかのようだった。

「君たちに僕らの声は届かなかった。もう終わらせてやる。こんな世界、ぶっ壊してやる」

少年が一気に剣を突き刺す。

その瞬間、第一の復讐は幕を閉じた。





黄金色に輝く草原の上で、白銀の鎧を身に着けた少年はすでに息の無い男を見下していた。

復讐の第一幕は終わった。

時間にして十分ぐらいだが、この男の中では果てしない時間が過ぎている。少年が行動を起こしてからそれに続いて行動を起こした者が三十人ぐらい。もう十分もすれば百数十人が復讐を始めるはずだ。そして三十分後には千人を超える復讐者が行動を起こす。

全ての復讐者が復讐を終えたとき、神は新たな世界を創造する。神の意思は少年達の意思そのものであり、たとえどんなことが起ころうと少年達に拒否をする理由はなかった。彼らにとって今より悪い状況など無いからだ。

少年は兜をとった。

疲労が顔に表れている。目の周りに大きな隈ができている。

少年は一つため息をつく。

草原の姿はぼやけていた。

森のざわめきも太陽の光も、全てが消えてゆく。少年の身をを守る鎧も消えてゆく。

全て消え去ったところに残っていたのは、倒れている男と現在の世界。しかし、いずれはその世界が入れ替わるはずだ。そう少年は確信していた。

時計の音がやけに五月蝿かった。

破壊したかったが、今の少年にはその力は無い。

しかし、確実に世界は変わっていった。

いずれ五月蝿い時計の音も聞こえなくなる。

いずれ矛盾だらけの常識が崩れる。

いずれ理不尽な怒りが消え去る。

少年はその時をずっと待っていた。

世界は、変わるのだ。






アトガキ

ホントはもっと熱く叫ぶみたいなのがやりたかったはずなんだけど、あまりに難しいので予定変更。

次こそは……。