結局は自分の存在が正しい物だと信じたかったのだ、そう思う。
彼は誰かのために生きようと必死だったのかもしれない。社会に自分の存在意義を託したかったんだろう。でも穴に落ちてしまった彼は上から垂れてくるひもをつかもうとしては逃げられ、つかもうとしては逃げられ、なかなか自分を上に引っ張ってくれるものを見つけられない。そして自分が弄ばれているという事が分かった時、絶望してしまった。
僕はとりあえず隣で眺めていた。僕はその穴から抜ける方法を知っていたのにも関わらず、いや、知っているからこそじっと眺めて彼の行く末を見ていた。
僕の隣には今誰もいない。
空っぽになって埃の薄い膜が張られた机が、ぽつんといつもと変わらぬ姿で置いてあるだけだ。彼は本当ならそこにいたはずなのだ。
彼はいつも孤独であった。そして彼にとって不幸な事が孤独を孤独と感じてしまう人間だったということだ。初め、そのことに少しだけ可哀想と感じてしまった自分がちょっと嫌いだ。
僕はいつもうつむいている彼を、本を読みつつ気づかれないように観察していた。別に友達になろうとか思っていたわけではない。観察だ。
彼は自分に対する愚弄や罵倒に俯く、憤る、そして無力な自分に失望する。そんなことを繰り返してどんどん落ちてゆく。
この調子だと半年も持たないなと思っていたが、意外な事に彼にも仲のよい友人がいたことが判明した。彼は自分の存在を託すべき人間をすでに見つけていたのだ。数週間も気づかなかった自分が情けない。まあこれからはより気をつけようと思った。
これで観察対象が一つ増えた。僕はよく授業が一緒になる男子にその人間について訊いてみた。その男子は意外そうに目を丸くしたが、簡単にその人間について教えてくれた。
どうやら彼の中学の頃からの友人のようだ。彼と似たようなタイプの人間かと思いきや、彼より器用らしい。それなりに友人も多く、彼のように落ち込んでいない。しかもよくよく聞いてみれば文芸部という。僕と同じ部活だ。ただ、僕はあまり部活に顔を出していなかった。
そして僕はその日からまじめに部活に出るようになった。突然、部室兼用の図書室の管理室に毎日通うようになった僕に少ない文芸部員は驚いているようだ。そして、その中には彼もいた。
最初は必要以上に彼に接触するのはよしたほうがいいかと思ったが、彼は例の友人に小さな声で話しているだけなので構わないかと窓のそばでじっと本を読んでいた。
そんなことが続いたある日、顧問の先生が文化祭用のレポートを提出するようにと言った。
レポートは面倒だなと思って、今になってここに来たことを後悔していた。そんな時彼が小説を書こうと言い出した。彼の友人も賛成の様子で、顧問の先生もそれがいい、と言い出すものだから文芸部全体で小説を書く羽目になってしまった。
ちなみに文芸部員は全員で六人。
彼、彼の友人、僕の他に一年生がもう一人、二年生が二人いる。それぞれが短編を仕上げるようにとのことだった。
意外にも他の部員もやる気で、むしろやる気がないのは僕ぐらいだった。それでもとりあえずこのまま文芸部に通う必要があるので僕も一つ書くことにした。
小説なんて物はその場の思いつきだけでさらさら書けてしまうものではない。そのことを自覚していたのは一度挑戦した事がある二年生と僕だけであったというから驚きだ。
予想通り、皆四苦八苦してなんとか文化祭数日前には書き上げた。それから先生にチェックをしてもらって、少し手直し。
しかし、前日になっても仕上がっていない者がいた。彼である。
彼は放課後も必死になって書いて、最後の数日は殆ど寝ていないらしく目の周りに大きな隈ができていた。彼の容姿も含めて、その様子はとても気味が悪かった。クラスの人間にからかわれても不適な笑みを漏らすだけなので、誰もが気味悪がって彼の周りに見えないバリアでも張ってあるかのごとく、あからさまに避けて通っていた。
さて、文化祭当日。
そこには小さなスペースに文芸部の書いた小説が積まれていた。やはり止まって読む人は少なかったが。
そしてそこに彼の書いた小説は置いていなかった。
彼は文化祭当日に清書した原稿を先生に渡したのだが、先生はそれを文芸部のスペースに載せる事はしなかった。詳細はよく知らないのだが、彼の書いた小説に問題があるようだ。後で二年生の部員に聞いたところによると、かなりグロテクスな表現が多く、実名なども使われていたので先生が彼につき返して怒鳴ったそうだ。
彼は目に大きな隈をつけたまま、原稿を手に呆然としていた。
そのことで彼は他の文芸部員からも信用を失ってたようだった。自分が小説を書こうと言い出して、その結果自分はあきらかに不適切な内容の小説を書いて文化祭に参加しなかったのだから。
そして、彼の友人も彼に対する信用を失っていった。
日に日に目に見えて彼の友人が彼にかける言葉が少なくなっていた。そのうち彼の友人は彼に対して明らかにうっとおしそうな態度をとった。彼はそうなると黙るしかなく、彼は一人隅っこのほうでちらちら彼の友人の様子をうかがいながら本を読んでいた。
ある日、彼の友人は部活に来なくなった。
彼は悲しそうに俯いて本を読んでいた。
僕はその様子を窓側で同じく本を読みながら観察していた。
それから一ヶ月ほど経った冬だった。僕は窓側から離れ、他の部員と同じようにストーブの近くに椅子を置いて本を読んでいた。彼は一人ストーブから離れて本を読んでいた。
そろそろ日が落ちるのが早くなったので、僕はいつもより早く席を立って帰ろうとした。そのとき、彼は一緒に席を立った。
玄関口まで彼は僕の後ろに一定の距離をとって歩いていた。そして靴を履き変えているとき、彼は僕に一緒に帰ろうと話しかけてきた。僕は驚いたが、電車の時間が近くて急ぐからと断った。僕はそのまま校門を出て、一度だけ振り返ってみた。彼は玄関で立ちつくしていた。
次の日、彼は学校に来なかった。
その次の日も、そのまた次の日も。
彼は結局閉じることにしたようだ。穴の中にうずくまることにしたらしい。その時になって僕が引き金を引いてしまったのか、と後悔した。観察対象に接触してしまい、その結果がこれだ。余裕を見すぎた。
僕は彼のいない机を見ながら思った。
もしかすると僕は彼に気づいて欲しかったのかもしれない。そうすれば今生きている自分を肯定できるからだ。
彼と僕は確かに手段は違ったが、自分の存在を確かめたかったのだ。ただそのことがわかっても僕はどうしようという気もなかった。
ただ、もしかすると彼に悪い事をしてしまったのかもしれないと思い、彼の机を一度だけ撫でた。
埃が取り払われた部分がカーテンからもれた日に当たって少し光っていた。
アトガキ
ほんと何の考えも無しに書いてしまった。まとめたつもりだけどよくわからんかも。