あの人に会ったのは…………八年ぐらい前だったか。そういえば俺も随分歳をくったものだな。まだ高校生だけど。
俺は八年前に一度誘拐されかかったのだ。
そのとき下校中の俺は一人通学路を歩いていた。委員会の仕事で遅くまで残っていたので、通学路にはもう誰もいなかった。
秋も終盤に差し掛かったころで、冷たい風がびゅんびゅん吹き抜けて寒かったのをなんとなく覚えている。しかしそれよりも静かだったことが印象深かった。
俺が足元の小石を無心で蹴りながら歩いていると、その小石が誰かの足に当たった。大きな革靴だった。ふと顔を上げると、黒いスーツを着てサングラスをかけた背の高い男が目の前にそびえるように立っていた。
その風貌に怯えた俺は、再び下を向いてその男を避けて通り過ぎようとした。
すると、突然進路を大きな手が遮った。ぎょっとして俺は立ち止まってもう一度男を見上げた。男は無表情で俺を見下ろしていた。
男はなにやら呟くと、俺のわき腹を両手でつかんで持ち上げた。驚いて固まっていた俺は何も抵抗できずに、そのまま担ぎ上げられ、男に連れ去られてしまった。
あの時は本当に怖かった。何もできないとしても、じたばたと暴れたほうが勇ましいのだろうが、俺は男を怒らせないようただ硬直して、声も出さずにじっとされるがままだった。
本当に、怖かった。
いつのまにか眠っていたようだ。
俺はぼんやりと目を開いた。頭がうまく働いていない。次に何を考えるべきなのかが全然わからないが、とにかく眠い。
もう一眠りしようかと思い目を閉じたのだが、なにやら妙に寒く、眠れないのでもう一度瞼を開けた。
冷たい風が吹いて体が少し震えた。おかげで目が覚めて頭が少しずつ回り始めた。
俺が眠っていたのは屋外のベンチだった。どうしてこんなところで寝ているのか、さっぱり見当がつかない。
ベンチに寝転がったまま俺は辺りを見回した。
夕日が木々と枯れた噴水を橙色に照らしていた。ここはどこかの公園のようだ。レジ袋や空き缶、食べ物のカスがそこらに落ちていてあまり綺麗とはいえない公園だ。
しかし、そんな公園で一人黙々とゴミ拾いをしている少女がいた。長い髪が風になびき、夕日に照らされて綺麗だった。小さな唇がうれしそうに微笑みをつくっていた。
少女は少し大きめの黒いコートを羽織っていた。
俺は思わずどきりとして固まった。ズボンもスカートもはいていない。赤い下着のようなものがちらりと見えてしまった。あれは下着の上にあの上着を羽織っているだけなのか?もしかして、ろ、露出狂?
俺はなんだか見てはいけないものを見てしまった気分になって焦った。
どうしようか。こっそりこの場を離れるか、それとも寝たふりをしてやり過ごすか。い、いや、どうしてそんなにこそこそする必要がある。落ち着け俺。そんなことよりも考えるべきことがあるんじゃないか?
まず疑問を整理してみよう。
ここはどこ?
どうして俺はこんなところで寝ている?
どうして変態露出女が公園で清掃活動を?
全ての答えは、わからない、だった。
ではこの疑問に対する解決策を考えよう。
現在地がどこであるかについての疑問にたいする解決策は二つ。
一つ目はとりあえず公園を出てどこかへ歩いてみる。もう一つはそこの変態女にたずねてみる。俺としては二つ目を避けたい。誰かに尋ねるなら公園を出てからでもいい。
ではどうして俺はこんなところで眠っていたのだろうか。ここがどこであるかはまだ不明だが、少なくとも俺が自主的にここへやってきて眠っていたわけではないだろう。そうなると誰かにここへ運ばれたのか?その疑問もそこにいる彼女に訊けばわかるのだが、まあ、最終手段ということでおいておこう。やはり一番手軽な方法、それはここにいたるまでの経緯を思い出すことだ。しかし、こんなまどろっこしいことを考えている間にも何も思い出せなかったというのは重症である。ひょっとして記憶障害だろうか。
確か今日、俺は朝起きて、ああ、そういえば今日は休日だった、と思い返してもう一度眠って……ああ、違うもっと先だ。
昼過ぎになって起きた俺はせっかくだから本屋にでも出かけようかと思いたって、家を出た。
「あっ」
ある出来事を思い出した俺は、全ての記憶を一瞬で取り戻し、おもわず声を上げてしまった。
しまったと思ってももう遅く、清掃活動に勤しんでいる変態露出女……改めまして命の恩人は俺が目を覚ましたことに気がついてしまった。
彼女はこちらを見ると、目を細めてにっこりと笑った。
何か気まずい気分になった俺は失礼ながらも目をそらした。
「気がついた?君を運ぶのはとーっても大変だったんだよ」その声は聞き覚えがあった。ちなみにその姿も見覚えがあった。そうか、水着だったのか。全然納得いかないけど。
「私、君に訊きたいことがあるんだけど、大丈夫?」
訊きたいことがあるのはこちらも同じなのだが、とりあえず相手の話を聞くことにし、「どうぞ」と言って俺はようやく上半身を上げた。
「えーっと、まずここはどこかしら」
「えっ」
あんた知らなかったのかよ。
襲われたのがK市であることはわかっていたが、気絶していた上に地元民でもない俺は「たぶん、K市のどこか、あるいは付近です」と答えた。
すると、彼女は「K市ってどこ?Y町に近いの?」と訊いた。
「近いといえば近いです。電車で二駅。まあ駅からどれぐらい離れた場所かは知りませんが」
「電車?ああ、そういう言いかたをするのね」
「は?」
俺は彼女が何のことを言っているのかわからなかったが、とりあえず一つ答えたので俺も質問することにした。
「ところであなたは何なんですか?あの変態男と関わりがあるみたいですけど」まあ見た目で言えば彼女もあの男同様十分変態なのだが。
しかし、彼女は困ったように頭に手を当てて言った。
「ああ、ごめんなさい。それはちょっと話せないの。……で、も一個質問いい?」
「はあ?」あまりにも理不尽な答えに俺は怪訝な顔で返した。
こっちは殺されかけたのだ。それについて関わっているくせに謝罪どころかなんの説明もしない。しかも人にものを尋ねておいて自分は答えずにもう一つ質問するとはなんとも厚かましいことだ。
「本当にごめんなさい。でも私からはあなたに何も話せないの」
俺は肩を落としてそう言う彼女をなんとなく責めることが出来ずに「で、もう一つの質問ってなんですか?」と訊いた。
すると彼女は真顔でこんなことを言った。
「今……西暦何年?」
「……え?」
「君、私の言うことにいちいち驚くの?」
彼女はそう言ってむっとふくれた。
たしかに失礼だったのかもしれないが、どう考えてもそれは今重要なことではないだろう。しかもそんなことを真顔で訊かれて驚かないほうがおかしい。
「200X年です。平成で言うと1X年です」
俺は丁寧に答えた。
「それが、どうしたんです?」
「そう、ありがとう。なんでもないの」
彼女はそう言って笑った。
まあつまり結局なにもわからなかった。
いったい彼女は何者なのか、あの半裸の男は何者なのか。
「ところで、君。ひょっとしてこの辺に住んでいる?」
「ん、まあそうです」
何かほっとしたしたような彼女の表情を見て、なにやら嫌な予感がした。もう今にも何か面倒なことに巻き込まれるのではないかという。いくつかの予測が一瞬で頭の中に浮かんだ。
「パンドラ」
彼女が呼ぶと、突然俺の目の前に大きなトランクが現れた。どうやら俺の座っているベンチの下にあったようだ。このベンチが固定されてなければ俺は間違いなくひっくり返っていただろう。
パンドラと呼ばれたそれは茶色の革のトランクのようだが、俺はさっきこれが巨大な銀色の光線銃のようなものに変形するのをみている。嘘のようだが、実際彼女が呼んだだけで浮遊して彼女の元に飛んでゆく馬鹿馬鹿しい代物なのだ。
「データ0825119を表示」
彼女が命ずると、俺の目の前でぱかっとトランクが開いた。
またあれに変形するのかと思って俺は身構えたが、トランクの中身がただのディスプレイになっていたので拍子抜けした。
トランクがそのままノートパソコンのようになっているため、やはりディスプレイは馬鹿でかい。そこになにが表示されるのかと思ったら、数行の小さい文字であった。
どうやらそれは住所のようだった。
俺はその住所を呆然と眺めていた。
なんとか平常を保とうと努力していた頭がとうとう破綻してしまい、心臓が飛び跳ねるような緊張に襲われた。
「えーっと。なに?なんですか?えーっと、えっ?」
もう俺の言葉は言葉として意味を成していない。彼女にはそこから混乱を読み取ってもらえれば幸いだ。
「この住所。知らない場所?」
彼女は動揺する俺にきょとんとした顔をした。
もういっそのこと知らないと言ってしまおうか。なんて考えたが、もし彼女がほかの誰かに尋ねればこの住所のもとにたどり着くのは確実だろう。最悪のケースは彼女が警察に保護されて、警官が彼女の提示するだろうこの住所に彼女を連れていく場合だ。
そりゃ、困る。だって、ここ、俺んちだし。困るよそれは。
警察とかが明らかに露出部分の多い格好の彼女をうちに連れてきたりすれば、俺が事情を聞かれるなんてこともあるわけだろうし。ご近所様に目撃されたなんてことになれば俺は怪しい人物のレッテルを貼られてしまう。
それは勘弁。
ではどうすればいいんだ。この電波系SF美少女が何者なのかとか、そんなこと以前にこの状況をどうやって解決すればいいのかを考えなければ。
いっそのこと連れて行こうか。別に悪いことが起こるとも限らないし。もしかしたら住所を間違えているのかもしれない。
しかし、さっきこの女の関係者と思われる相手に殺されかけたことを思うとやはり関わりたくないと思うわけで。
なんて考えている間に俺は彼女に至近距離まで接近されていた。
「どうしたの?具合悪いの?」
彼女はトランクを閉まって俺の顔を覗き込む。
その綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。格好はともかく美少女なのだ。童顔だが、やはりかわいらしいのである。
はっと俺は目をそらして「なんでもない」と答えた。
俺はこんなときになにを考えているんだ。気を落ち着けるために一度大きく深呼吸した。
「その住所だけど、俺のよく知っている家ですよ」
俺が言うと、彼女の表情がぱっと明るくなった。
「じゃあお願い連れて行って」
だけど俺はそう簡単に連れて行ってやるわけにはいかない。この女の目的がわからない以上、下手に関わるとどんなことになるか。また命を危険にさらす羽目になるかもしれないんだ。
「でも俺はその家の住人の知り合いなんで、そう簡単に知らない人をつれていくわけにはいきません」俺はできるだけ冷静な口調で話した。
「え?」
「だから先にあなたの用件を話してください。もちろんプライベートな話は口外しません」
彼女はなにやら考え込んでいた。
さて、どうでるか。
「仕方がない」突然声の調子が変わった。具体的に言うと暗くなったというか低くなったというか、何か威圧感を感じるものになった。
「パンドラ、超振動刀」
彼女はトランクの取っ手を持って命じた。
トランクはまた自動的に開いた。しかし今度はそこにディスプレイはなく、銀色のパーツが詰め込まれていた。
トランクは無数のパーツに分裂し、素早く回転、変形を繰り返す。
脳裏に巨大な銀色の銃がよぎった。もしかしてまたあれに変形するのか。謎の球体に包まれて消えていった男のことを思い出した。
しかし、トランクはあの時とは違う形に変形していた。
トランクは刀身一メートル半ほどの銀の剣に変形していた。柄はトランクの取っ手のままだが、それは侍がもっているような刀のようだった。
銃にしろ刀にしろやばそうなもののことは確かだ。一度助けてもらったからこの女自身は俺に危害を加えないだろうと油断していた。この女もあの変態男と同類かよ。事情が話せないからって力ずくなんてふざけてるだろ。
「ねえ、連れて行ってよ」
俺は刀を突きつけられた。
おまけに刀はものすごい高音を発して振動していた。いや、見た目にはそう変わっているようすはないのだけれど、刀身が微妙にぼやけて見えるのは振動しているのだろう。
SF小説なんかで読んだことがある。振動剣というやつか。
「早く、案内」
どうしようかなんて考えている余裕はなかった。
「しなさい!」
結局俺は彼女の勢いに負けて、「わかりました。ご案内します」と非常になさけない声を出して折れた。
すると彼女はにっこり笑って「ありがとう」などと言うのだ。
力に屈するなど、非常に不本意なのだが、ほかでもない命を守るため。女の子に脅されたとしてもここは我慢するところだ。今度の相手はイカレタ半裸男ではないので命乞いも無駄ではない。と、とりあえずそういうことにして屈辱に甘んじた。
といってもこれから俺が消される可能性もあるわけで。そのときにどうするかを考えながら、俺は女とともに公園を後にし、帰り道を探した。
アトガキ 09/3/6
今回のびっくりどっきり武器は、超振動刀です!なんちて。
えー、なーんとなく設定が固まってきました。といってもまだ話になるほども固まっていないのでとりあえず公園での交渉(脅迫)の場面へ。
しかし、実は今一番困っているのはキャラクターです。こんなけ書いといて実はほとんど決まってないんですよ!もしかしたら後々キャラ崩壊などもありえます。ほんとごめんなさい。
ところでメインの二人なんですけど、まだ名前がありません。っていうか考えていません。まともに名前があるのはトランクのパンドラだけですから。しかもこれ元ネタDMCだし。
そうそう、もしかするともう一つ連載を追加するかもしれません。同時進行でどちらかだけでも完結させられないかと思って。
アトガキで報告することじゃないですけどね!